写美に行ってまいりました。
友人に会って、ランチをした後、散歩するには寒すぎるねという話になって。何を出してるかも知らずにぶらりと行きました。今、ちょうど魅力的な展示をやっていないときでしたので特に何も思いつかなかったので。しかし、行ってよかったです。
「地球の旅人」展で見た、屋久島の写真が気に入りました。高校生のとき、半日だけ屋久島に滞在したことがあって。森の中を散歩してきただけなんですけど、このまま帰りたくないなって思ったものです。森の中で空を見上げると本当にこんな感じだったな、と。グリーンレクイエムが想起されます。島国に住んでいるけれど、島に憧れます。
私は旅行のための旅行、というのはした事が無くて、今地方に出かけるといったら専ら調査のためであって、遊ぶ気は毛頭ありません。逆に、用事や仕事がないと行く気にならない位、旅の楽しみ方が判りません。でも、無目的にいくのであれば、屋久島がいいなってずっと思っている次第です。凍える恵比寿で、一瞬南の島へトリップした気分になりました。林明輝さんの写真は好きです。
友人に会って、ランチをした後、散歩するには寒すぎるねという話になって。何を出してるかも知らずにぶらりと行きました。今、ちょうど魅力的な展示をやっていないときでしたので特に何も思いつかなかったので。しかし、行ってよかったです。
「地球の旅人」展で見た、屋久島の写真が気に入りました。高校生のとき、半日だけ屋久島に滞在したことがあって。森の中を散歩してきただけなんですけど、このまま帰りたくないなって思ったものです。森の中で空を見上げると本当にこんな感じだったな、と。グリーンレクイエムが想起されます。島国に住んでいるけれど、島に憧れます。
私は旅行のための旅行、というのはした事が無くて、今地方に出かけるといったら専ら調査のためであって、遊ぶ気は毛頭ありません。逆に、用事や仕事がないと行く気にならない位、旅の楽しみ方が判りません。でも、無目的にいくのであれば、屋久島がいいなってずっと思っている次第です。凍える恵比寿で、一瞬南の島へトリップした気分になりました。林明輝さんの写真は好きです。
今日の自分はにこにこしていたように思う。
今まで生きてきたなかで、大事な出会いをした人の内、二人も会うことができたので。後何回会うことができるのか。
普段しかめ面で机に向かっているばかりの自分と比べると、考えられないくらいにこにこしていた。
ほっぺたの筋肉が痛くなるくらい。明日は筋肉痛だな…
ライブ(face to face)で話を聴くということは、情報の伝達の正確さには欠けるけれど、そこにしか無い空気や状況を肌で感じることに意味があるのだなあと実感した。
「貴重な時間をありがとうございました。」と、言いたい。直接言いそびれてしまったけれど。
私は私で、自分の仕事をしようと思う。
当たり前なんだけれど、今は語れるようなものは何も無く。フィードバックを返せるような、有機的な関係を築けるような蓄積とそれを伝える技術がほしい。
一義的な表層の言葉では成し遂げられないものがそこにはある。
言葉にならない言葉たちが、その空間には確かに存在していたと思う。何の証拠も残らないことだけれど、血肉にしていこう。
こういうことは紙媒体に自分だけにわかる様に書いておけば済む話なのだけれど、それが億劫になって久しい。自分は恥ずかしい人間だなと思う。
今まで生きてきたなかで、大事な出会いをした人の内、二人も会うことができたので。後何回会うことができるのか。
普段しかめ面で机に向かっているばかりの自分と比べると、考えられないくらいにこにこしていた。
ほっぺたの筋肉が痛くなるくらい。明日は筋肉痛だな…
ライブ(face to face)で話を聴くということは、情報の伝達の正確さには欠けるけれど、そこにしか無い空気や状況を肌で感じることに意味があるのだなあと実感した。
「貴重な時間をありがとうございました。」と、言いたい。直接言いそびれてしまったけれど。
私は私で、自分の仕事をしようと思う。
当たり前なんだけれど、今は語れるようなものは何も無く。フィードバックを返せるような、有機的な関係を築けるような蓄積とそれを伝える技術がほしい。
一義的な表層の言葉では成し遂げられないものがそこにはある。
言葉にならない言葉たちが、その空間には確かに存在していたと思う。何の証拠も残らないことだけれど、血肉にしていこう。
こういうことは紙媒体に自分だけにわかる様に書いておけば済む話なのだけれど、それが億劫になって久しい。自分は恥ずかしい人間だなと思う。
歌を浴びた。
目を見張るほど明快に洗練されていく空間&時間、構成。言葉。
今までの停滞が嘘のように、隅々まで血が行き渡る感覚があった。
これで、いい。
今は淀みなく、ゆく河の流れのように巡らせていて欲しい。
声に迷いが無い。それだけで了解できた。全身で聴く、浴びるという言葉が相応しい。私の中に迷いが無いことも同時に了解できた。
生きているだけで、歌っているだけで、人間であり全てが一つの作品であり、小さな積み重ねや変化そのものに価値がある。そしてそれらの其の時々の限定条件下に生まれ、同時に消え去っていき、消えたことによって存在を認識できる全ての一つ、それらが充満した空間を収める幻想の箱に、意味がある。箱自体はガラクタであるのに。
そのものと対峙すること、そこに意味は無くても其の空間を共有することによって私の中に形のない何かがあることが理解されうるならば。しかしまだ、この場に居続けることを否定する必要は無い。
そして、この場に居続けることは能力への偏愛の極地なのだと思う。どんなに不定形、不安定で、歪んで、時にとげとげしく仇となる要素があったとしても。見つけてしまった鮮烈な解答を保護することしか出来ない。何も生み出せない劣等感に直結した、私の強さなのだろう。
目を見張るほど明快に洗練されていく空間&時間、構成。言葉。
今までの停滞が嘘のように、隅々まで血が行き渡る感覚があった。
これで、いい。
今は淀みなく、ゆく河の流れのように巡らせていて欲しい。
声に迷いが無い。それだけで了解できた。全身で聴く、浴びるという言葉が相応しい。私の中に迷いが無いことも同時に了解できた。
生きているだけで、歌っているだけで、人間であり全てが一つの作品であり、小さな積み重ねや変化そのものに価値がある。そしてそれらの其の時々の限定条件下に生まれ、同時に消え去っていき、消えたことによって存在を認識できる全ての一つ、それらが充満した空間を収める幻想の箱に、意味がある。箱自体はガラクタであるのに。
そのものと対峙すること、そこに意味は無くても其の空間を共有することによって私の中に形のない何かがあることが理解されうるならば。しかしまだ、この場に居続けることを否定する必要は無い。
そして、この場に居続けることは能力への偏愛の極地なのだと思う。どんなに不定形、不安定で、歪んで、時にとげとげしく仇となる要素があったとしても。見つけてしまった鮮烈な解答を保護することしか出来ない。何も生み出せない劣等感に直結した、私の強さなのだろう。