躁鬱の谷

2006年10月31日 あした
気がそぞろになるのは仕方が無い。
今日はかつて何かが変わった日だ。

節目として認識し続けることが果たして良いことなのか疑問ではあるけれど。やはり、忘れられないものがある。
かつての其の時点までに流れていた時間と、そこから今の時点での距離は、もうこちら側のほうが長い。

何が変わったのか。
何を得たのか。
何を残したのか。自問自答を繰り返す。

去年の私は何を考えていたのだろう。
何かを彼女に熱を込めて語った。それは覚えているのに肝心の内容が頭に無い。
でも、去年より悪くなった気はしないから。
これで良いのだろう。結局は、良いほうへ良いほうへ、促していくことが唯一の道なのだ。

また泣くかもしれないなあ、明日は。それでも聴くことは、大事。向き合うことは大事。
無かったことには出来ない。彼女の存在と私の現在の関係のように。

人の死を捉えるのに、どれだけの時間がかかるのであろう。
それは悲しい、という一言では片付かない何かだ。
あらゆる方向から、彼の不在を見つめている、といっても過言ではない。日々彼を思い出すことさえない時間でさえ、彼は意識され続けている。その存在の痕が残っている人々がいる限り。新陳代謝の果てに、一つの細胞も彼を知らないような体になる、なんてこともやはり有り得ない。

笑ったり、胸の奥が冷えたり、急斜面の迷路のような日だった。

コメント

渦

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索