台本は無い。

2006年8月23日
彼は、私の秩序とは全く違うところで生きていた人だ。

彼は私が泣き喚いても、決して揺らがず、ゆっくりと優しい声で、私が欲しい言葉をくれた。

私の幼稚な論理武装を、うんうんといって聞き、「それはそう考えるだけが唯一の筋道ではないんじゃない?」と言って、私が余計に泣いても構わずに話を続けた。

私の背中は、自分の思い込みだけで凝り固まっていて、とても不自由な体だった。何事も言葉で知って、頭の中で考えて得たものだらけで、肉体的な実感を伴った経験が無く、全てが頭でっかちの子供の姿のままだった。

彼は、分からず屋の私と出会って、半年の間に10キロ近く体重が減った。もともとぽっちゃりしていた、という事情もあるけど。
今思えば、彼はそれだけのパワーを使って、私を育てなおしてくれたのだと思う。身体的な感覚をオンにして、人と向き合うということは初めての体験だった。それは単に体が触れ合うというような意味ではない。

何故、そんなことをわざわざしようと思ったのか判らない。
少なくとも、今の彼の停滞は、この頃の膿を温床としている気がする。そういうものを代わりに飲み込んで、羽化していたはずの輝く甲虫が、繭を作り、芋虫に戻ってしまったのかもしれない。

私のせい、と思うのはおこがましいだろう。
彼の人生は彼のものだ。
貴方のおかげで今の私がある、というのもあつかましいだろう。
そんなことを言うつもりは無い。

彼は私の人生を語るとすれば、欠くことのできない登場人物だ。
それだけのことだ。

手を離せば終わる。

でも、今この閉塞感だって、いつか何かに代わるかもしれない。

泣きながら何も見ずに、手を離そうとするのが以前の私。
代わるとしたら何になるのだろう、と考えるのが今の私。

全く先は見えないけれど、未来を全て悲観しているのではない。
それは彼の能力そのものの価値が下がった訳ではないし、失った訳でもない。その点に揺らぎは無く、私は能力に他者評価の一番の重きを置く。才能に惚れこむ、といった方が早いか。
私から見れば、躓きなど大したものではなく、彼は自分の事実を見定めるのを嫌がっているだけの、単純な問題だ。

私と同じように、非常に偏った人間である。
そのことが今まで露呈しなかったことが不思議。どんな環境で育ったのか、話を聞いても想像できないのだ。そういうところには共通点は無い。

今まさに離れてゆく中で、今とは何であったのかを知る時、彼は傍に居ないだろうけど。
きっと、焼きついた彼の姿を心から大事に思うだろう。
静止画となってしまった姿を、丁寧になぞると思う。今はそんな余裕が無いけれど。

私の姿は、どのように焼きつくのか。
墓にしまい込んで、全く思い出すことも無いかもしれない。それでよいと思う。

出会ってよかった、と思うことくらい許されるだろうか。

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渦

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